大阪にて


2003年02月19日


大阪で見たいもの
大阪に行って来ました。
かねてから一度大阪に行って見ておきたいもの
というのがいくつか溜まってきていまして
ついに行って見ることにしたのです。

そのいくつかとはすなわち
1.歴史小説の司馬遼太郎記念館
2.堺市にあると言うアルフォンス・ミュシャの美術館
3.大阪のシンボル通天閣
4.絢爛豪華の大阪城
5.西の秋葉原、日本橋電気街
と言ったところです。

司馬遼太郎記念館はその名の通り
先年無くなった司馬遼太郎氏の業績をたたえて
建てられた記念館であります。
僕は司馬遼太郎氏の小説は
1〜2年前から電車の中で読むようになりました。
彼の著作を読み進むうちに彼の驚くべき知識の豊富さに圧倒されました。
彼の著作群は小説と言うよりも
歴史そのものじゃないかと思うほどです。
歴史小説の一つの頂点ですね。
時間がないので未だ沢山は読み進んでおりませんが
だからこそ僕にとって
これからも長く楽しめる作家の一人として認識しております。

司馬さんの本に出会えたことは僕の喜びとするところであります。
その司馬氏の記念館があることを知り
是非見に行きたいものだと思ったわけであります。

堺市ミュシャ美術館(アルフォンスミュシャ館)も
是非行きたいところです。
ミュシャ氏のイラストは大好きです。
むかし二十歳くらいの時(今から30年くらい前ですね)に
池袋の西武デパートで
アールヌーボーとジャポニスム展という催しをやりました。
僕はそのときにアールヌーボーというものを初めて知ったのです。
幕末頃の日本の美術が
当時のヨーロッパの芸術に影響を与えていたなんて
思いもしないことだったので僕は非常にびっくりしました。
それで僕はアールヌーボーに強く興味を持ったのですが
それ以後機会が無くてずっと目に触れることはありませんでした。
ところが10年くらい前から
ところどころで
ミュシャの絵が目に触れるようになりましたね。
更にインターネットの普及で情報も集まるようになり
幾つかのサイトでミュシャ関係のサイトも発見しました。
都内のミュシャ専門店などにも足を運び
レプリカのミュシャなど買い込んで
自分の部屋の中に飾ったりして喜んでいます。
そのうちあるサイトで
ミュシャ氏の美術館が堺市にあることを発見したのです。
これは見に行かないわけにはいかないじゃありませんか。

通天閣は言うまでもなく大阪のシンボルですよね。
東京で言えば東京タワーというわけですね。
「なにわ金融道」とかに出てきそうな感じの建物ですよね。
(なにわ金融道:青木雄二氏の名作街金漫画。
          街金の怖さを漫画で読みとれる)
日本人ならば一度は登ってみたいものですよね。
そういうわけではずせない観光名所ですね。

大阪城は数年前に大改装しましたよね。
秀吉の想いを形にしたともいえる大阪城は
前から興味がありましたのでこれも是非登ってみたい
と言うわけです。
それにしても権力を持つとどうしても巨大建物を建てちゃうんですねえ。
きっとそれで感心して
従う愚かな人々が沢山いるのでしょうね、いつの時代にも。

日本橋電気街ですが
僕はつい最近までこの街の存在を知らなかったんです。
2年前から秋葉原通いをするようになってから
東の秋葉原に対して
大阪に西の日本橋と称せられる電気街があることを知りました。
秋葉原フリークならば是非一度見ておきたい街ですよね。
なお
東京にも日本橋はありますが東京にあるのは「にほんばし」で
大阪にあるのは「にっぽんばし」ですから全然違います。
ご承知おき下さい。

大阪は大きい街です。
行きたいところがはっきりしていないと
何となく飲み込まれてしまうに違いありません。
そういう危機感から今回は行くところを
最初からはっきりと決めて行くことにしたのです。
上記の五カ所が今回僕の行きたいところと言うわけです。
無理だったんですけどね。

実を言うと大阪ははなはだ不案内ですけど
行く道が分からなかったらタクシーを使えばすむことです。
金に糸目をつけちゃいけません。
全部タクシーで回ったっていいくらいです。
まあ少しは電車も使ってみてもいいけど。

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2003年02月19日


司馬遼太郎記念館
まだ二月ですので朝は寒いですよね。
そんなに早く起きられるわけもなく
家を出たのが6時40分、
東京駅で新大阪行きの新幹線に乗ったのが8時20分でしたです。
新大阪までは京都までに比べて意外に遠くて
到着が10時50分、
JRの大阪駅に着いたのは11時をまわってしまいました。
まもなくお昼って感じですね。
先が思いやられます。

気を取り直して
まずは司馬遼太郎記念館に行ってみることにしました。
梅田の駅から御堂筋線で難波に行って近鉄奈良線に乗り換えて
八戸ノ里に向かいます。
(なんて読むか分かりませんよね。「やえのさと」と読みます)
環状線と交差する「鶴橋」までは何でもなかったんですが
そのさき妙に電車が速いんです。
それに駅と駅の間が長い気がします。
それで注意してみていたらどんどん駅を飛ばしているんです。
どうやら急行に乗ってしまったみたいなんですね。
あれよあれよという間に
目的の八戸ノ里も通り過ぎてしまいました。
どんどんどんどん列車は走ります。
そのうち高台に登って
大阪の街を遙か見下ろすよな線を走っています。
このまま山を越えたらもうすぐに奈良に入ってしまいそうです。
山を登ってしばらくしたところで
ようやく電車が止まった駅はなんと生駒駅でした。
生駒市はやっぱり奈良県ですもんね。

仕方がないので
僕は折り返しの列車を待って
今度は慎重に普通列車を選んで
一駅一駅確かめながらの帰り道です。
数えて八個目の駅が目指す八戸ノ里でした。
ずいぶん遠くまで連れて行かれてしまったものです。
この駅を降りてから司馬記念館までの地図は
インターネットで手に入れてありますので
これに従って歩くことにしました。
地図によると10分くらいらしいです。

司馬遼太郎記念館はすばらしいものでした。
司馬氏の膨大な蔵書を
記念館の壁一面に作られた書架に収めて
すでに一つの図書館に規模を誇ります。
あれだけの著作を著すためには
これほどの資料を必要とするのかと
これほどの資料を駆使したのかと
今更ながら彼の人の偉大さを知らされた思いです。

館内にはボランティアとおぼしき初老の上品な方たちが
請えば案内をしてくれそうな笑顔で入館者を迎えています。
入館者の人たちも物静かな上品さんです。
まるで図書館の中にいるみたいです。
ちょっと肩がこりました。

また一方で不謹慎ながらむかし若いときに読んだ
庄司薫氏の「白鳥の歌なんか聞こえない」を思い出したのも
また事実です。
(主人公薫君の友人が膨大な蔵書に囲まれた作家の家で
 それらを読み尽くした老作家の看病をするうち、
 生命のむなしさを直視して鬱状態になってしまう
 物語と記憶します。資料を調べないで書いてしまうやつ!
ともあれやっぱり司馬さんは凄いと言うことを再確認して
記念館を後にしたのでした。

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2003年02月19日


堺市駅と堺駅
来る途中電車に乗り間違えたのが響いて
司馬記念館に到着したのは予定よりかなり遅れていました。
(予定なんか有ったのか?)
記念館を後にして八戸ノ里に着いたときには
すでに一時をまわっておりましたので
本来ならばお昼ですよね。
でも遅れているのが気になって
次のミュシャミュージアムのある
堺市まではとりあえず行くことにしました。

近鉄奈良線を鶴橋駅で降りてJRの路線図を見ます。
どうやら堺市駅は阪和線という路線にあるようです。
それで僕はJRの環状線に乗ることにしました。
天王寺駅で阪和線に乗り換えるつもりなのです。
天王寺駅で和歌山方面という路線を探してすぐに分かりました。
阪和線というのは大阪和歌山線と言うことだったのですね。

さっき近鉄奈良線に乗ったときも感じたことですけど
この電車って都心から郊外に走る
東上線とか西武池袋線のようなものなんでしょうね。
なんだか目に見える建物がだんだん低くなっていきますもんね。
しばらくして堺市駅に着きました。
あんまり乗降客がいない小さな駅です。
あの歴史に有名な堺コミューンのあった堺市は
これでいいのか!って感じです。
でもそんなことはいま堺市に住む市民には
何の関係もないことですよね。
失礼しました。

ところで僕はこの堺市にミュシャを見に来たわけですから
ミュシャの美術館を探さなければなりません。
駅構内の案内板を見ましたがなかなか見つかりません。
仕方がないのでかねて用意の
インターネットのあるサイトから写し取った
ミュシャの美術館の住所を書いたメモを調べました。
そこに書いてある住所と
駅構内の地図の住所表示を照らし合わせてみて
僕は驚きました。

僕の探しているミュシャの美術館は
阪和線の堺市駅前ではなくて南海本線の堺駅前にあるようなのです。
堺駅にほど近いところにある
ポルスタセンタービルという建物の16階にあるというのです。
阪和線の堺市駅、南海本線の堺駅、
この二つの堺を僕は取り違えていたようなのです。
更に阪和線と南海本線は並行して走っているため
この二つの駅を移動するには電車では結構面倒な感じです。
そこで僕はついに意を決して大きな決断を下しました。
南海本線の堺駅に向かってタクシーに乗ったのです。

タクシーの運転手さんは初老の寡黙な人でした。
僕が
「堺駅前のミュシャの美術館に行きたいのですけれど」
と言っても黙って首をかしげている様子です。
どうやらミュシャの美術館を知らないようです。
「とにかく堺駅前に行って下さい」と言うと
「はあ、分かりました」と言って堺駅まで連れて行ってくれました。
そうしたら目の前にそびえる高層ビルに
ポルスタセンタービルと書いてあるじゃないですか。
僕はああ、やっとここまで来たかとほっと一安心しました。
一安心したら急速におなかがすいてきました。
時計を見たらすでに2時です。

ポルタスセンターはひとまず後回しにして
駅隣接のビルで腹ごしらえをすることにしました。
かつ丼630円は高かったです。
おなかがすいてて良かったです。

僕はポルタスセンタービルに隣接するリーガロイヤルホテルや
ホテル前にさりげなく立っている与謝野晶子像などを眺めながら
足取りも軽くポルタスセンタービルにやってきました。
ロビーに入ってミュシャの美術館の案内表示を探します。
ないです。
更に別の表示板を探します。
ないです。
通路を更に進んで別の案内板を探します。
ホテルに入ってしまいました。
ロビーに戻ってもう一度見直しますがやっぱり
ないです。

僕は意を決して
エレベーターで16階まであがってみることにしました。
その16階には知らない会社のオフィスと
無人で厳重に鍵をかけられたフロアがあるだけでした。
    
要するにミュシャの美術館はそこにはなかったのです。
何処かに移転してしまったようなのです。

さすがにこれはこたえました。
ここまで来た時間が(お金も)もったいないじゃないですか。
僕は日帰り日程のわずかな在阪時間を
どんどん無駄に費やしているのです。
なんておろかなんでしょう。

しかしないものは仕方がありません。
あきらめて一度環状線まで帰ることにしました。
途中ホテルの前に公衆電話があるのを見つけて
ミュシャの美術館の電話番号を調べてみました。
そこに書かれてある番号に電話をしてみて
近ければ行って見ようと思ったのです。
電話をかけてみましたが呼び出し音がむなしく鳴るのみでした。
僕はいよいよあきらめて
南海本線の切符を買って自動改札を通ったのでした。

ところが僕はここで思いがけない発見をしたのでした。
駅構内のスタンドに置いてあったのは紛れもなく
あのアルフォンス・ミュシャ館のパンフレットだったのです。
そのパンフレットによると
アルフォンス・ミュシャ館は与謝野晶子文芸館とともに
堺文化館としてベルマージュ堺の中にあるというのです。
そしてその堺文化館はさっき僕がタクシーに乗った
阪和線の堺市駅前にあるというのです。
なんと言うことでしょう、
僕はアルフォンスミュシャ館のすぐそばを
ろくに調べもしないで素通りしてきてしまったようなのです。
僕はやむを得ずまた阪和線の堺市駅に戻ろうと思いました。

しかし僕はすでに南海本線の切符を買ってしまったばかりか
自動改札機まで通ってしまいました。
再びタクシーに乗りたくともこの駅から出なくてはなりません。
仕方がないので駅員さんを呼び止めて
事情を話したところ快く新今宮までの200円を返金してくれて
「そこの階段を下りて左側に歩いて3番のバス乗り場で
 河内松原行きに乗って下さい。堺市駅を通りますから」
と親切にバスの道筋まで教えてくれるではないですか。
バス乗り場に行ってみると
確かに堺市を通るみたいです。
うまい具合にあと10分でバスが来る時間です。
こうして僕はさっき来た道を今度はバスで戻ったのでした。
間抜けな話であります。
             
堺市駅でバスから降りると
目の前にベルマージュ堺の建物がありました。
さっきも目にしたはずの建物なのに
全く記憶が無いのは何故なのでしょうか。
人間は興味のあるのもしか見ていないのですね。

堺文化館はベルマージュ堺の中でも
奥まった2号館にありました。
また外したかと思ったほど目立たないところにありました。
館内にはいると受付にきれいなお姉さんが二人
にこやかに迎えてくれました。
更に4階のアルフォンスミュシャ館と
3階の与謝野晶子文芸館の前にも
それぞれ一人ずつ受付のお姉さんがいました。
いずれもアヤメかカキツバタと言った風情です。

しかしスタッフが充実している割に
入場者は少ない印象で
何しろアルフォンスミュシャ館には
僕以外の入場者はいなかったし
与謝野晶子文芸館にも
僕のほかに二人の中年女性を見たのみでした。

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2003年02月19日


アルフォンスミュシャ館と与謝野晶子文芸館
アルフォンス・ミュシャ館の展示はすばらしいものでした。
ワンフロア四部屋を利用したとても上品な美術館でした。
ミュシャの世界を展示するにふさわしい空間です。
展示されているミュシャは篤志家の寄付によるものらしいですが
そのコレクションは大変なものです。
美術館の館内は十分に広く、大きいサイズのミュシャの絵を
三歩下がってみたいときにも快適です。
いまさかんに出回っているリクリとはまた違って
原作の色合いも楽しむことが出来て非常に良かったです。
時にあらわれたせいか全体に薄い色調の感じになっていました。
もとの時代には
もうちょっと濃い色だったんじゃないかなって思いました。
それにしても本物を見られた喜びは大変なものですね。

おまけに
僕が館内にいるあいだ
他の来場者は誰もいなかったので
僕はとても落ち着いてそれぞれの絵を鑑賞出来ました。
あえて言えば
僕自身のその後の予定が詰まっているのが難点でしたね。

そのあと僕は三階に下りて
与謝野晶子文芸館に行きました。
こちらも落ち着いた展示室でしたが
二部屋利用のこぢんまりしたものでした。
それでも与謝野晶子について幾つかの知識を得ることが出来ました。
晶子と鉄幹は一時パリに住んでいたんですね。
うらやましいです。
それにしても一頃の明星の表紙の絵は
完全にミュシャの絵のパクリですけど
ミュシャの了解は取ってあったのでしょうかね。
昔のことなので著作権の考え方はなかったのでしょうかね。

堺文化館の受付ロビーには
幾つかのミュシャグッズや本などが販売されている様子でしたので
帰りによってみました。
何か面白そうなものがないかなと思ったのです。
でも前からミュシャファンの僕には特に目新しいものはなくて
ミュシャの絵皿が目を引いたくらいでした。
その絵皿をひとつ買って堺文化館を後にしたのは
もう午後4時近くなってしまったのでした。

阪和線の堺市駅から天王寺駅に戻って
いよいよ通天閣を目指します。
天王寺駅から通天閣に行くのには
どういう道筋がいいのかと考えもしましたが
通天閣には是非登って
展望台からの眺望を楽しみたいと思っていましたから
夕方になってから到着したのでは困ります。
あんまり時間もないので
ここは思い切ってタクシーを使うことにしました。

天王寺駅の道路に面した出入り口では
若者のバンドが路上コンサートを開いています。
天王寺駅前のタクシー乗り場に行くまでの歩道橋には
フリーマーケットのような露店の青年が沢山いました。
彼らの存在が本来十分な広さの
出入り口や歩道を狭くしてしまっています。
警察は何故彼らを取り締まらないのか不思議です。

人の波をかき分けてタクシー乗り場に向かった僕は
いつの間にか小走りになっていました。
その小走りのままタクシーに乗った僕を見て
中年のタクシーの運転手さんは
通天閣までの道を少し乱暴ともいえるスピードで飛ばしてくれました。
そこまで急いでいたわけでもないんですが
タクシーが急いでくれたのは少しうれしかったです。
それともあのタクシーの運転手さんは
いつもあんな感じで運転するのでしょうか。

そういうわけで予想よりも早く通天閣の下に到着したのでした。

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2003年02月19日


通天閣
通天閣はほぼ予想通りの建物でした。
大阪の街の真ん中に
あのような塔がにょきっと立っているのは不自然な感じもしますが
その昔、新世界のシンボルとして
凱旋門とエッフェル塔を重ねたような建物を建てたそうで
今あるのはその二代目だという話を聞けば
なるほどと得心も行くというものですね。
一代目の写真を見ると
確かに建てた人の心意気が伝わってくる気がします。

今ある通天閣はそれなりに良いと思うんですけど
塔全体にかかるようにして
「日立 I T ソリューション」とかの
文字が貼り付けてあるのはいただけないと思います。
見苦しいの一語に尽きますね。

ところで
タクシーで駆けつけた通天閣でしたが
入り口まで行ってびっくり、
入場待ちの長蛇の列なのです。
エレベータの前には家族連れやカップル、
団体さんなど様々な人たちが
おしゃべりをしながら並んでいるのです。
僕のような一人歩きの人間はいないようでした。

大阪の街の人たちは
いまだ通天閣に飽きることなく
こうして毎日登り続けているのでしょうか。
きっとそうじゃなくて
おそらくはみんな初めて通天閣に来た
遠隔地の人たちなんでしょうね。
そういえば(そういえば?)
横浜マリンタワーに行ってみたときも
ずいぶん大勢の人たちが列を作ってタワーに登っていましたもん。

エレベータは二階までしか行かなくて
二階で展望台の入場券を買って
また別のエレベータに乗せられます。
こちらは展望台直通です。

展望台は広いとはいえない大きさで
それでも真ん中の壁の部分では
おみやげ屋さんがたくましく商売をしていました。
僕はそこで通天閣名物の「ビリケン」のストラップを買いました。
ビリケンというのは通天閣の展望台に飾ってある
何でもかなえてくれる神様だそうで
彼の足の裏をかくと願いが叶うのだそうです。
売店のおばさんは
「しっかり掻かなきゃ駄目よ」って教えてくれました。
ビリケン像に近づいてよく見ると
確かにビリケンの足の裏は
みんなに掻かれて随分窪んでいます。
僕はビリケンがかわいそうになって
強くひっかくことは出来ませんでした。
そっと何回かさすってきたのです。
僕の気持ちがビリケンに伝わるといいのですけれどね。

通天閣を降りて通天閣本通りを少し歩くと
日本橋電気街です。
この街にさしかかったのは午後五時でしたので
少し薄暗くなってきたところです。


電気街をじっくり歩いて
出来れば秋葉原のような露店なども見たかったんですけど
辺りはどんどん暗くなってくるのでこれ以上の冒険はあきらめて
これをもって旅行を終えて帰ることにしました。

予定ではこのほかに大阪城に行くつもりだったんですけど
この次のお楽しみに取っておくことにしました。

それにしても今回の旅行は準備不足がたたって
無駄な動きが多かったですね。
意外に大阪が遠かったのも痛かったですね。
すんなりいっても生駒まで四時間半かかりますものね。
(なぜ生駒まで?)

それでも大阪の電車に沢山乗れたし
思いがけず生駒の駅も見られたし
鶴橋や天王寺の雑踏も経験してこられたし
振り返ると意外に盛りだくさんな経験が出来た旅なのでした。

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