ホリデー快速鎌倉号で行く鎌倉


2002年11月04日


ホリデー快速鎌倉号で行く鎌倉
折角の連休ですので家でゆっくり寝ていたいという欲求を抑えて
鎌倉に行ってみることにしました。
去年ほとんど滅びていた鎌倉直通電車が
今年また復活していることを先日発見したのです。
この電車を見つけた以上これに乗ってみないわけにはいきませんよね。
新宿湘南ラインもいいですけどやっぱり直通列車の魅力には勝てません。

この秋走っているこの列車は
毎週末土日と休日大宮から鎌倉まで行く列車みたいです。
一度乗ってしまえば乗り換えなしで
鎌倉まで連れて行ってくれるのですから嬉しい限りです。
うちの方からは1時間半で鎌倉に到着です。

なんだかいつもの電車よりかっこいいのは憎いですよね。

鎌倉寺社巡りは既に何回かはやっていますが
何せ寺社の数が多いためまだまだ充分ではありません。
今回は未だ足を踏み入れたことの無かった鶴岡八幡宮の東側の寺社群に
行ってみることにしました。

まずは鎌倉駅前からバスに乗って鎌倉宮と言う神社に行きます。
ここに祭られている方は後醍醐天皇の皇子護良親王と言う方だそうで
足利尊氏により土牢に9ヶ月幽閉されたのち殺されたとのことです。
当時の土牢がその痛ましい生活を偲ばせます。
境内にはなにやら怨念のようなものが感じられる気がしました。
その割に
七五三を迎えた可愛い女の子とその家族が沢山来ていて
ほんわかムードにも満ちていてちょっと不思議だったです。

              七五三がもっと沢山いたんです。

そこから足をのばして瑞泉寺という寺に向かいます。
このお寺は夢窓国師という方が作られたそうです。

入り口で僕たちが拝観料の300円を払っていたら
タクシーで乗り付けた黒い服を着た初老の男女数人が
「法事なんです」と言ったのです。
門番のおじさんは
「どうぞ、どうぞ」と言って拝観料を取りませんでした。
あれはいい手ですね。(おい)

              あの関所の奧が瑞泉寺ね。

瑞泉寺では本堂の脇の地蔵堂にある「どこもく地蔵」というお地蔵様が印象的でした
どこに行っても苦があるのだから逃げないで戦えと言う教えのお地蔵様だそうです。
もっともなご意見ですけど救いのない話ですよね。
もう少し言い方があるでしょうに。

そこから少し駅の方面に戻りまして荏柄天神社と言うところに行きました。
正面から見ると崖じゃないかと思うほど急な階段でした。
荏柄天神社は菅原道真を祭ってあるそうで
日本の三大天神様の一つなのだそうです。
因みにその三つとは
大阪の北野天満宮、福岡の太宰府、そして鎌倉の荏柄天神社なのだそうです。
僕は今まで知らなかった神社ですけど荏柄天神社って凄いってことですね。


このあたりは人力車が沢山走っていまして
その人力車のお兄ちゃんがついでにガイドもしてくれるみたいなんですね。
荏柄天神社の境内でも小学生くらいの男の子とその父親とおぼしき二人に
車夫(学生アルバイト?)が荏柄天神社の説明をしていました。

「昔、菅原道真という凄く頭のいい人がいてね、
あんまり頭が良いからみんなでここに祭って神様にしたんです」
と言う具合の説明をしていました。
いろいろつっこめそうですけど省略します。
それにしてもさすが天神様、合格祈願の絵馬が沢山かけられていました。

ここから少し東に歩きまして杉本寺に行きました。
杉本寺はあの大仏建立のための寄付集めに全国を回った
行基の開いたお寺だと言うことです。
凄く昔ですよね。
鎌倉最古のお寺だそうです。
使用禁止の苔むした階段などあって雰囲気満点ですね。

ここで僕たちはお腹が空いてきましたのでお昼を食べることにしました。
浄妙寺に行く途中見つけたお寿司屋さん「弥助寿司」。
僕たちが入った時はがらがらでしたけど
食べ終わって出てくる時にはどんどん席が埋まって
帰る頃には僕らが帰るのを待つ人がいるくらいでした。
とてもおいしいお寿司でした。

お腹いっぱいで登った浄妙寺は
妙に階段が歩きにくくてつらかったです。
階段のステップの部分がかかとの方が低くなっているんです。
滑り落ちてしまいそうで怖かったですね。

浄妙寺の奧には石窯ガーデンテラスという
パスタやパンを食べさせるところがあって
女性たちに大人気みたいです。
試しに行ってみたら大混雑でした。
あんな山奥なのにそこだけ人が沢山集まっている感じでした。
家内はそこでパンを買い込んでかさばる紙袋をずっと下げて歩いていました。
全く気が知れません。(持ってやれよ)

帰り道には報国寺に回ることにしました。
報国寺は孟宗竹の庭が有名だというので是非見ておきたかったのです。
評判通りの竹林はまさに圧巻でした。

         竹、竹、竹の竹林です(当たり前ですね)

この後僕たちは源頼朝の墓を見て帰ることにしました。
鎌倉駅方面に帰るのですから方向がちょうど良いのです。
頼朝の墓は急な階段を上った丘の上にありました。
鎌倉の寺社は急な階段が多いですね。
起伏の激しい土地柄やむを得ないことなんでしょうね。

頼朝の墓は5重の塔のような形をしていました。
一番下の台のところに丸に十字の島津製作所のマークが付いていました。
島津家の家紋ですね。

                                   源頼朝公の墓
なぜ頼朝の墓に島津家の家紋が付いているのかはよく分かりません。
あの墓を作る費用を島津家が負担したみたいですけど
それだけで墓石のあの場所に家紋を入れさせてもらえるのか疑問です。


頼朝の墓のあと帰るためにガイドブックを見ていて
荏柄天神社に絵筆塚という絵筆の形の碑があることに気付きました。
家に帰る前にもう一度荏柄天神社に行こうと言うことになりまして
再び荏柄天神社に向かいました。
近いんです。(300メートルくらい)

ありましたね、堂々とした絵筆が。
こんなに大きな物になぜ気付かなかったんだという突っ込みは無しです。
境内とは言え端のほうの高台にあったのです。
154人の漫画家が思い思いにカッパの絵を描いて
周りに貼り付けてある大迫力の絵筆です。

                        漫画家さんは感動するでしょうね。
僕も漫画は嫌いじゃないですから凄く楽しい気分になりました。

帰り道、鶴岡八幡宮の参道に出てみたら驚きました。
僕たちは今までラッキーで空いた道を歩いていたんですね。
八幡様の参道は今日は初詣じゃないかと思うほどの大混雑でした。

         連休プラス七五三でひと、ひと、ひとの大混雑でありました。
道路も大渋滞、車で来なくてよかったぁ。(その気もないくせに)

すっかり足も疲れてしまってもう僕たちは歩けない感じでした。
小町通りを歩きながら僕たちは休む場所を探していました。
どこか喫茶店でも探して入れば少しは足の疲れも回復すると思ったんですが
何せこの混雑、開いてる喫茶店を探すのもままなりません。
どのお店も沢山の待っている人が並んでいます。

そうこうしている内に鎌倉駅が近づいてきてしまって
今日はもう疲れたので予定より一本速い電車で帰ろうと言うことになったのです。
もう駅のホームで電車を待とうと言うことになったのです。
駅のホームには目指す電車の列がはやくも出来ていました。
ホームで30分ほど列車を待ちました。

ついに目指す列車がホームに入ってきた時に事件は起こりました。
僕たち乗客は一両あたりドアが4枚ある列車を待っているかのように
ホームに並ばされていました。
ところが入ってきた列車はドアが2枚のタイプの列車だったのです。
当然並ばされている場所と列車のドアの関係はめちゃくちゃです。

パニックでしたね。
口々に駅の不手際をののしりながらも
入り口で押し合いへし合いする見苦しい展開になりました。

特に列の前の方に並んで
既に座席は約束されたと考えていた人たちの奮闘は大変なものでした。
そりゃそうですよね。
この件については全面的にJR鎌倉駅の不手際と考えます。
二度とこのようなことの無いようお願いしたい物です。

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