善光寺日帰り


2002年07月22日


善光寺日帰り
平泉や京都の日帰りをやったことがあるので
長野や新潟なら日帰りが出来るはずだし
行ってみたいという話になりまして
長野善光寺おそばを食べに行こう日帰り旅行を企画しました。

朝は少しゆっくりで大宮9時58分発の新幹線です。
それでも一時間ちょっとで到着しますので
長野駅からゆっくり歩いてもお昼頃には
善光寺参道仲見世に到着してしまいました。

お昼時でもあり周辺のおそば屋さんはどこも満員のご様子。
中心からほんの少し離れたところの店に入って
ざるそばを注文しました。(ちょっと不安)

これがおいしいのです!
善光寺門前のお店が皆おいしいとは到底信じられませんが
少なくとも
僕たちが基礎知識なしで入ったそのお店はかなりおいしかったです。
嬉しかったです。

さて仲見世通りですが
有名な浅草の仲見世と比べると道がかなり広いです。
浅草の仲見世は道も狭いし人も多いし
何とかしてくれって叫びたくなるようなところですが
善光寺の仲見世は
ちょっと広々しすぎて少し大味な感じです。
全く人間は勝手なものですね。(え?僕だけ?)

駅から善光寺まではほとんど人がいませんでしたけど
善光寺の中はかなりの人出でした。
みんなバスで来ちゃうみたいです。
参道の両側には沢山のおみやげ屋さんがあって
客を呼び止めています。
子供の頃はおみやげ屋さんを見ると欲しいものがいっぱいでしたけど
年ふるにつれて何もいらなくなってしまうのはどういう訳でしょうね。
でもそのおみやげ屋さんの店頭で欲しいものを見つけました。
般若心経をプリントした手拭いであります。

善光寺の山門は巨大でした。
このような巨大な建物が
宗教の厳かさや偉大さを肌で感じさせるのに役立ったのでしょうね。
仏教のほかのお寺も神社もキリスト教の教会も
みんな大きいのを自慢にしているみたいに巨大な建物を造っていますね。
この山門をくぐるといよいよあの有名な善光寺の本堂があります。


言うまでもないことですが善光寺はものすごく有名です。
もっとも有名なのは
「牛に引かれて善光寺参り」という言い伝えです。

さらにこのお寺には
善光寺如来と聖徳太子の往復書簡が
保存されているということで有名ですよね。
誰も見たことがないようですからちょっと眉唾な感じですが
きっと善光寺の偉いお坊さんと聖徳太子の手紙なのだと思います。

そんな見せてももらえないようなものはどうでも良くて
僕の興味を引いたのは善光寺本堂の中で地下にもぐって
漆黒の闇の中で秘密の鍵を探り当てるお戒壇巡りという不思議な行、
(と言うかほとんどアトラクション)でした。
善光寺に行ったら是非やりたいことのナンバーワンでした。

それで本堂に入ったらお賽銭をはずんで(100円)
家内安全を祈願して
(今が家内安全じゃないという訳じゃないですよ!)
早速お戒壇巡りに直行です。
と言っても賽銭箱の隣に
お戒壇巡りの列の最後尾がありましたから
そのまま並んだだけですけどね。

並んで10分ほどしたらお戒壇巡りの入り口です。
狭くて急な階段を一歩一歩下りて行くのですが
何せ混んでいますので前の人にくっつきそうなくらいです。
家内も僕の後ろに不安そうにくっついてきます。
階下に降りて10歩も歩くと
鼻をつままれても分からない真っ暗闇になりました。
目が慣れると言うこともないほどの暗さです。

僕のすぐ前の人は物静かなご老体でしたが
その前には悪名高いオバタリアン軍団であります。

「まっくらねぇ」
「あら、やだ。ねぇ、ちょっとこれ誰の手?」
「あたしのよ、あはは」
「列、動いたわよぉ」
「ここ、まがってるわよぉ」

本来の闇の中での厳かな感じと少しばかりの恐怖とが
醸し出される雰囲気がありません。
おかげで僕たちのお戒壇巡りは
きわめて下世話な満員電車体験になってしまいました。

そのあと善光寺宝物館などを見て
僕たちはタクシーで松代の街に向かうことにしました。
武家屋敷を見たかったのです。
僕たちを乗せたタクシーの女性運転手は
熱烈な田中康夫元知事の支持者で
田中知事のダム無用論を乗客の僕たちに
熱心に説明するのです。
やめてくれ!

それでも僕たちは彼女からいくつかの貴重な情報を得ました。
僕たちが当初目指していた横田邸よりも
真田宝物館の方が沢山見るものがあること、
松代駅から長野駅に電車で直通で行けること
などを教えてもらったのです。


真田宝物館は素晴らしかったです。
その点では僕たちは僕たちを真田宝物館に連れて行ってくれた
あのタクシーの女性運転手さんに感謝しなくてはなりません。

僕たちが真田宝物館に入ったところで
どこから見ようか迷っていたところ
中年のインテリ女性がつかつかと歩み寄ってきて
自分はボランティアの説明員であるので説明をしてくれるとおっしゃるのです。
僕たちは恐縮しましたが自分たちが無知であることは自覚しておりますので
ありがたくお願いすることにしました。

彼女の説明は見事なものでした。
真田家について曖昧な知識しか持たなかった僕たちは
彼女の後について一回りする内に真田家のことが少し分かるようになりました。
「真田幸村って真田家の家督を継いでなかったんだぁ」と言う具合です。


その後松代駅に行って長野行きがないことを知った僕たちは
再びタクシーに乗って長野駅に帰ったのでした。
松代駅は正しく昔の田舎の駅の雰囲気を残した駅でした。
きわめて興味深かったです。

今回も日帰りにしては沢山の経験が出来た充実した旅行になりました。

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