横浜中華街から山手


2003年10月05日


横浜中華街から山手
横浜に行って来ました。
たびたび話題に出ているクラシックホテルの仲間達、
すなわち北から日光の金谷ホテル、軽井沢の万平ホテル、
東京の東京ステーションホテル、横浜のホテルニューグランド、
箱根宮ノ下の富士屋ホテル、奈良の奈良ホテルの六ホテルを
見て歩く(泊まって歩くではありません)という壮大な計画は
いよいよ横浜と奈良のあと二つを残すのみとなりました。
それで今回は横浜のホテルニューグランドで昼食をとることにして
休日のお昼時に横浜に行ってみることにしました。

ホテルニューグランドは石川町駅から10分ほどのところにありますが
ちょうど中華街を縦断するような道筋で行くことになります。

これは空腹の僕たちには拷問でしたね。
道の両側にずらりと並ぶ中華料理店に
楽しそうに次々と吸い込まれて行く人たちを見たり
道ばたで買ったばかりのあんまんや肉まんを
美味しそうに食べながら歩いている人たちを横目に
遙か彼方のホテルニューグランドを目指して
歯を食いしばって歩かなくてはならないなんて、
ましてこれから行くホテルの食事が美味しいとは限らないんですよ。
よっぽどその辺の店で肉まんを買って食べてしまおうかと思いました。

やっとの思いで中華街を抜けるとホテルニューグランドはすぐそこでした。
道路を挟んで目の前は山下公園というロケーションです。
この辺ならもう何回も来たことがあるところではないですか。
なんだここだったのかという感じですね。
無知とは恐ろしいことであります。

このホテルで僕たちは昼食を食べました。
もちろん食事は美味しかったのですが
あの中華街を向こうに回して料理で毎日勝負するわけですから
この辺のホテルのレストランは大変ですね。
お気の毒なことであります。

食事の後再び中華街を抜けて元町方面に向かいます。
元町のさらに南の方の坂を上ったあたりに
なにやら面白そうな洋館が沢山建っているような話を聞いたので行ってみようと思ったのです。
相変わらず十分な下調べもせず行き当たりばったりの小旅行です。
迷いながらも港の見える丘公園の入り口にたどり着きました。

折角ですので港の見える丘公園によっていくことにしました。
僕はこの公園に来るのは20年ぶりくらいだと思います。
山下公園は時々来ていますが港の見える丘公園はなかなか来る機会がなかったのです。
名前の通りその高台からは
いくつもの貨物船や客船が並ぶ異国情緒たっぷりの横浜の港が見えるに違いありません。
それで久々の眺望を楽しもうと展望台とも言える高台から港を見下ろしました。

でもそれは僕の想像よりも遙かに現実的な風景でした。
僕が見た物は眼下いっぱいに広がる貨物倉庫と
その先の波止場にひっそりと停泊する草臥れた貨物船のみでした。
豪華客船や異国情緒はとっくになくなってしまったようです。
当たり前ですよね。
それでも横浜名物ベイブリッジの偉容を充分に堪能することが出来ました。

気を取り直して洋館見学に向かいます。
港の見える丘公園を背にして外人墓地がありました。
なんだか横浜の町を見下ろすような傾斜面に洋風の墓がいくつも建てられています。
その傾斜地を登り切ったところにいくつもの洋館が残されています。
僕たちはそのうちのいくつかを見学しました。

まず最初に僕たちは山手資料館という建物に興味を持ちました。

この建物は明治時代の建物だそうで貴重な建物の内部には
明治時代の横浜の貴重な文化風俗史料を飾ってあるのだそうです。
200円の入館費を払って内部を見学しました。
興味深い物もありましたが
総じてあと50年くらいしたら200円取っても良いかなという程度の物でしたね。
とは言っても維持管理に膨大な費用がかかるのは分かりますから
入館料じゃなくて一口200円の寄付を取ったらいいんじゃないでしょうか。
あの史料を保存するための寄付なら200円取られても惜しくはないですね。

山手資料館からすぐのところに山手234番館という建物があります。
これは昔の外国人向けのアパートだったそうで一つの建物に4軒の家が入っています。
なかなか住みやすそうな作りでこれなら自分たちも借りたいくらいでした。
二階では地元の人たちのグループの絵画展が開かれていてしばし楽しませて頂きました。

そのすぐ隣で「えの木てい」と名乗る洋館風の作りのおしゃれなレストランがありました。

狭い店内は女性客でいっぱいでしたが
店員の女の子達は皆きびきびと狭い店内を動き回り
手の空いた時はカウンターの片隅に待機しています。
カウンター周りにも客はいっぱいいましたが
どんな狭いところにもその小さな体をすっぽりはめ込んでしまうのです。
あまりにも自然に狭いところに収まっているのでなんだか不思議な気分でした。
ああいう不思議、大好きです。

少し買い物をして店を出たら目の前に「エリスマン邸」がありました。

エリスマンという貿易商の私邸だったそうですが
内部は充実していて当時の貿易商の快適な生活が偲ばれます。
それでもきっと国に帰りたかったと思いますけどね。

ここまで来て僕たちはすっかり疲れてしまいました。
途中かなりきつい坂もありましたし何よりもうずいぶんな時間歩き通しです。
もうその辺でタクシーを拾ってでも帰りたい気分です。
それでもタクシーを拾うのはもったいないので石川町まで歩くことにしました。
きっと15分くらい歩けば着くものと思われます。
もう一歩も歩きたくない足を
電車に乗れば座らせてあげるから、
もし座れなくても歩かなくても良いからと叱咤激励して歩き始めました。

ところが今僕たちが出てきた「エリスマン邸」の隣には
その何倍も凄い「ベーリックホール」という大邸宅が建っていたのです。
僕たちはもう帰ろうと決心した直後だったので一度はこの前を素通りしたのですが
今これを見ておかないと必ず後悔することが想像できたので
10メートルも行かないうちに立ち戻ってこの建物を見学してから帰ることにしたのです。

「ベーリックホール」は圧巻でした。
この日一番のヒットだったと言って良いと思います。
疲れた足を引きずって最後にこの建物を見たのは正解でした。

この建物の特徴はなんと言ってもその広さですね。
この建物も貿易商の建物だったそうですが「エリスマン邸」とは規模が違います。
おそらくは建築当初から多くの人との交流が念頭にあった模様で
パーティでも出来そうな大広間をはじめゆったりとしたダイニング
かなり広めの当主の部屋、それを上回る広さの奥さんの部屋、
充分すぎる広さの子供部屋、たっぷりのバルコニー、
どれを取っても個人住宅としては最大級という感じです。
僕たちがいるわずかな時間の間にも来た人来た人が
「わあ!広い」と驚きの声をあげていました。

そんなわけで僕たちはこの屋敷を出た時にはもうすっかり疲れていました。
疲れた体には横浜からの帰り道は遠かったですね。
たっぷりの充実感と少しの後悔とともに夕方自宅に帰り着いたのでした。

戻る