たてもの園再訪


2003年09月23日


たてもの園再訪
江戸東京たてもの園には先日行ったばかりなのですが
幾つかの心残りがありました。

まず一つにいつもは持ち歩くカメラを忘れて行ってしまったことであります。
小生は出歩いた記録を写真とともにここに残して
楽しむ習慣になっておりますので
出かけた先の写真が残っていないのはつらいものがあります。
要するにどこの風景もすぐ忘れちゃうんですよね。
せっかく行った場所の写真は是非欲しいわけですね。

もう一つは
前回は見学途中で突然の驟雨におそわれて
まだ十分に見学したとは言えない段階での撤退だったのですね。
昭和の街並みを歩いていたら雨が押し寄せてきたのです。
雨に追われて飛び込んだ建物は皮肉にも昔の傘屋の建物でした。
しばらく雨宿りをして無為に時間が過ぎて
自宅に待っている用事もあって思い半ばで逃げるようにして帰ってきたのでした。

また前回は
ボランティアの丁寧な説明をいただいての見学でありましたので
いろいろな知識を新たに出来て感謝に堪えないのでありますが
どうしても案内者のペースで見学することになり
見たいところを存分に見るという
自分勝手な見方が出来なかったきらいがありますね。
もう少しゆっくり見たかったような気もします。
贅沢な考えですね。

今回の江戸東京たてもの園は
二回目の訪問でありますので行く道にも慣れております。
(駅を間違えそうになったけど)
見たいものもはっきりしております。
今回は僕たちにしては行く目的がはっきりしています。
カメラも持って傘も持って準備は万端でありますね。
こんな事は珍しいのであります。

まず最初に見たかったのは田園調布の家であります。
大正末期から昭和にかけての家だったそうですが
オール電化が売りなのだそうです。

                                   オール電化極初期型文化住宅!

僕らとしてはオール電化の方はあまり興味が無く
大正末期に田園調布に家を求めたお金持ちが
当時どんな暮らしをしていたのかを
想像する手がかりになる家のような気がしたのですね。
もちろん前回見たような西麻布の三井さんの家のような大金持ちは別にして
当時でも田園調布に家を建てるような人は
かなりのお金持ちだったに違いないと思うのです。

家はお金持ちにしてはこじんまりとした印象でした。
しかし家の中は手際よく機能的にまとめられ
現在の高級マンションなどは
(あまりよく知りませんけど新聞チラシから想像するに)
ほとんどこの家の設計とあまり変わらないんじゃないかと思うほどでした。
こんな家に住みたいなって思わせるお宅です。
やっぱりたいしたものです。

次にその隣の前川圀男邸にも行きました。
前川圀男氏は建築家なのだそうですが
戦時体制下で建築資材が不足する中
設計に工夫を重ね自宅を建てたのだそうです。

建築家入魂の一作はしばしば空振りします。自分が造った家だから我慢して住んだんでしょうね

しかし材料不足のせいか広すぎる空間が寒々として
僕などが見ても住みたくなるような家とは言えないようです。
ひとり前川氏のせいだけではなさそうです。

その後は興味深い昭和初期の看板建築のゾーンに行きました。
道路に面した部分だけかっこよくお化粧した建物ですね。

                                      このちぐはぐさが良いですね
昭和初期にはこのような建築がはやったそうでして
なんだか懐かしい東京の街並みを見ているようです。

                           並ぶとそれなりに見えてくるから不思議ですね

更にその周辺には江戸時代の商店の建物も多く展示されていて
昔の商店の店頭の形式が簡素であったことが分かり面白かったです。
明治以後ですかね、
商品を飾って見栄えをよくしようという努力が見られるようになったのは。

この一角の一番目立つところには
子宝湯という風呂屋の建物が建てられています。

                     それにしてもどうして風呂屋ってこういう形なんでしょうね

この風呂屋は営業はしていませんが
なかに自由にはいることが出来ます。
のみならず男湯も女湯も自由に出入り出来るのです!

壁にはお約束の富士山の絵が描いてありました。
でもそれは男湯の壁で女湯にはその続きの松林が描いて有るくらいでしたね。
脱衣場の片隅には体重計などが置いてありました。
残念ながら牛乳は売っていませんでした。

湯屋の隣には鍵屋という居酒屋がありました。
しもた屋を改造して居酒屋にしましたという風情の
気のおけない雰囲気を売りにしている店だったことが偲ばれます。

                                   思わず入りたくなるのは僕だけ?

昭和45年頃に復元してあるそうですから
仕事帰りのサラリーマンで賑わっていたのでしょうね。
「だからあのとき俺は部長に言ってやったんだよ、うぃ!」
と言う話が店の中から聞こえてきそうですね。

この辺りで僕たちはそろそろ足が疲れてきました。
それになんだか空模様が怪しいのです。
僕たちはこのあと江戸時代の農家を一件見学して帰ることにしました。
名主の家だそうですけど
茅葺きの床の高い部屋の数が大変多い典型的な農家の名家という感じでした。
座敷にある囲炉裏ではボランティアの人がなにやら火をたいていました。
定期的に火を焚いて燻し続けないと茅葺き屋根が傷んでしまうのだそうです。
それは知りませんでした。

ところで筆者も農家の出身ですが
この家は筆者の子供時代に過ごした家と
共通する匂いをもつ懐かしい感じの家でした。
筆者の家は屋根は瓦屋根でしたが
高い床と沢山の座敷と広い土間と囲炉裏(土間にあった)があり
家の中にむき出しになっていた梁は煤で真っ黒でした。
なんだか子供時代の我が家に帰ったみたいでした。

子供時代は座敷が広く感じられました

前回見損なった建物を一回りして満足した帰り道についた僕たちでしたが
たてもの園を出た辺りから愛用のデジカメの調子が悪くなり当惑しました。
レンズカバーが閉まらなくなって写真が撮れなくなってしまったのです。
この日は撮りたい写真は撮った後でしたので不都合はありませんでしたが
この次のお出かけに支障があるので是非修理しなくてはなりませんですね。
その辺りの顛末は日記の方でご覧下さい。

戻る