松山


2003年08月11日


松山という街
司馬遼太郎氏の「坂の上の雲」という歴史小説があります。
小説と言うより歴史そのものじゃないかと思うような
臨場感を持った優れた小説であります。
氏の小説を読んで歴史に興味を持つ人も多いだろうと思います。
かく言う小生もその一人であります。

小生はその「坂の上の雲」を読んでいてこの中の登場人物の
正岡子規、秋山好古、秋山真之兄弟の育った
松山の街を一度見てみたいと思うようになったのですね。

松山はこれとは別に夏目漱石の
「坊ちゃん」の舞台としても有名でありますね。
漱石自身が当時の松山中学で
教師をしていたときの体験を小説にしたものですね。
夏目漱石の名を世に知らしめたあまりにも有名な小説ですね。

僕は「坂の上の雲」を読むまでは知らなかったのですが
夏目漱石は正岡子規と友人なのでありますね。
年も同じであったようですね。
面白そうな話じゃありませんか。

それで小生は
今年の夏休みを利用して松山に一人旅をすることにしたのです。
家族は皆忙しく今回は時間が取れなかったので
かまわず一人で出かけることにしたのです。
それも豪華にも一泊で!
さすがに松山日帰りはきついでしょう。

調べてみると
新幹線で岡山まで行ってその後在来線に乗り換えて行くのが良さそうです。
児島坂出ルートの瀬戸大橋を電車で渡るのも楽しみです。
お盆に季節にかぶるのが少し心配ですが
迷っていても埒があかないので
とにかく出かけてみることにしました。

とりあえず松山での宿だけはインターネットで確保して
あとは気ままに風任せであります。
実は前の日まで台風の風が強くかなり心配でしたね。

当日は朝早くから家を出ました。
何しろ新幹線の切符をどうしてもとらなくちゃいけませんので真剣です。
切符を買えなかったらどうするかというと
松山の宿をキャンセルして家に戻るしかないわけですね。
どうして切符を先にとっておかなかったのかというと
寝坊するのが心配だったからなんですけどね。
幸い切符は買えましたのでこれで岡山までの足は確保出来ました。
朝7時03分ひかり号です。

  新幹線700系です

あとは岡山からの在来線の切符を現地で買えるかどうかですね。
切符を買えなかったらどうするかというと
松山の宿をキャンセルして家に戻るしかないわけですね。
東京で切符が買えないよりもたちが悪いですよね。
結構スリリングな旅でありますね。

新幹線の車中では
いつにない早起きがたたってずっとうとうとしていました。
早起きじゃない日でも僕は電車に乗ると眠くなります。
電車に乗ると必ず眠くなってしまうのはいったい何故なんでしょうかね。
そういうわけで東京から岡山までの車中の記憶は定かではありません。
でも大阪新神戸あたりから寝過ごさないように神経を使いました。
眠かったんです。

岡山の駅はさすがに大きかったです。
岡山でもラッキーで切符が手に入りました。
12時22分発松山行きであります。
ついてます。
    
松山まで行きたいんですけど

1時間待ちですけど贅沢は言えませんものね。
余った時間を利用して一度岡山駅から駅前に出てみることにしました。
駅前には勇ましい桃太郎の像が建っていました。

                                    桃太郎って岡山だったんですね
また、大河ドラマの「武蔵」のポスターもあちこちに貼ってありました。
武蔵も岡山だったんですね。

岡山からの電車の中も眠かったです。
車内ではなにもすることがないのでどうしても眠くなってしまうんですね。
隣の座席の老夫婦は口げんかしながら駅弁を食べていました。
でもよく見るとそれがふつうであるらしく
さりげなくおかずを分け合ったりしているのです。
はらはらして損してしまった気分です。
ばかばかしいことです。

瀬戸大橋から見た瀬戸内海は大変美しかったです。
ですが電車から見る風景は橋脚に邪魔されて
その美しさを十分に堪能出来ません。
きっと車で走ると気持ちが良いのでしょうね。

                 瀬戸内海をちゃんと見たのは初めてでした。穏やかな海ですね

岡山を出て3時間弱、松山に到着いたしました。
列車の長旅にはいささか疲れましたが
朝、家を出て当日の午後3時過ぎには四国、松山にいられるということは
十分感動に値することだと思いますね。
文明の勝利であります。

戻る

2003年08月12日


松山城に登城する
松山はもちろん大きな地方都市ですが有名な観光都市でもありますね。
駅でも大勢の観光客を見ましたし観光案内所もありました。
でも僕が予約してあったホテルは
駅前でくれた観光地図には載っていませんでした。
地元観光旅館の組合に入っていないのでしょうか。
観光案内所のお姉さんに道を聞いてたどり着いた有様です。
もちろんちゃんとしたホテルですよ。(^^;)

ところで松山の街には路面電車が走っていてこれが市民の足のようです。
以前に行った長崎の街や広島の街にも
同じような路面電車が走っていたのを思い出します。
これって慣れると便利なんですよね。

その路面電車を横目に見ながら
駅前通を10分ほど歩いて僕はホテルに着きました。
もうそのころはかなり疲れていましたので
まずはチェックインして一休みです。
松山城のお堀に面したとても良いホテルであります。
路面電車最寄りの駅は「西堀端」であります。

          僕の泊まったちゃんとしたホテル。頭上の沢山の電線は路面電車用です。

部屋で一休みをしたら少し元気が戻りましたので
今日のうちに少し回ることにしました。
道後温泉は明日にして今日は松山城に行くことにします。
駅で貰った地図を見ると
松山城天守閣に登るにはロープウェーが楽そうです。
足の痛みという爆弾を抱えている身としては
少しでも楽なコースをとりたいので
ここはロープウェーに頼るほか有りません。

路面電車で「大街道」という駅で降りて
少し歩くとロープウェー乗り場に着きます。

          松山城に行くロープウェー乗り場、もっと下の方から出発して欲しいものです

短いロープウェーのあと
更にしばらく坂道を上ってやっと天守閣に到着しました。
天守閣内部はまた特別急な階段が続きます。
なんだか僕をいじめているみたいに足に悪いことの連続であります。
それでもせっかくここまで来たのですから
登らないで帰るわけにはいきません。

          天守閣は高くないですけど山の上にあるので城下町よりもかなり高いです
天守閣の最上階はさすがに気持ちの良い風景でした。
5月に大阪城に天守閣に登ったときのような気持ちよさでした。
3ヶ月ちょっとで2カ所の天守閣の登るのは多い感じがしますね。

松山城から街におりて
僕が向かったのは秋山好古真之兄弟の生家跡です。
秋山兄弟は明治期の軍人ですが
特に真之が正岡子規の親友であり
日露戦争の日本海海戦の作戦立案者と言うことで有名ですね。
天才秋山真之が日本海海戦のひいては日露戦争の
勝利を導いたと考えられます。

秋山兄弟の生家跡地は荒れ果てていました。
今は敷地内に剣道場を残すのみとなった跡地ですが
細々募金活動を続けていて生家の再建計画があるようです。
なんとか頑張って欲しいものです。
中に入って見学したかったのですが
開館時間を過ぎていて中に入ることは出来ませんでした。
残念であります。

           秋山兄弟生家跡の剣道場、管理も不十分でこのまま朽ちていきそうです

先ほどの「大街道」の駅から
大街道と言う名の大アーケードがあります。
ラフォーレと三越に挟まれるようにしてアーケードが始まります。
ちょうど神戸の三ノ宮商店街のような感じですね。

                                     大街道入り口、大商店街です
ややしばらく歩くとアーケードは
突然銀天街と名を変えてそのまま続きます。
なんだか不思議な印象です。
そのまま歩くと松山市駅前に到着します。
地理的に納得出来ない駅到着でした。
でもその駅はさっき見た松山駅とは随分違う印象です。
そうなんですね、この駅はJR松山駅ではなくて
伊予鉄道の松山市駅なんですね。
僕はここの地下街で夕食をとりました。
ヒレカツ定食、美味しかったです。
ここから路面電車で西堀端まで戻ってホテルに帰りました。

ホテルに帰ったときはさすがに疲れて
シャワーを浴びてビール片手にテレビを見て夜を過ごしたのでした。
これではいつもと全く同じですね。(^^;)

戻る

2003年08月12日


道後温泉を見る
二日目は朝から道後温泉の方に行くことにしました。
松山に来たからには
あの有名な道後温泉を見なくてはいけませんですね。
坊ちゃんの中に出てくる温泉ですので一度は見ておきたいものです。

路面電車で道後温泉行きに乗れば連れて行ってくれそうです。
路面電車にも少し慣れましたので
一日乗車券というのを購入することにしました。
2回以上乗れば得になると言うものです。
今日はきっと2回以上乗ると考えたのです。

ホテル前から道後温泉までの路面電車は乗りでがありました。
一番前の座席に陣取って進行方向を見て楽しんでしまいました。
まるで子供ですね。

       車内から見た松山の街路、向こうに見える電車は駅に止まっているところです
路面電車と同じ線路を使って走る坊ちゃん列車とたまにすれ違いましたが
坊ちゃん列車は夏休みの小学生とその親御さん達でいつ見ても満員でした。
反面ふつうの路面電車は比較的空いていたのでした。

              時々すれ違う坊ちゃん列車。どうやらガソリンエンジンで走るようです

路面電車が到着した道後温泉駅はレトロな雰囲気のかわいい駅でした。
他の駅が中央分離帯のような
アスファルトを盛り上げて縁石で囲っただけの駅なのに対して
特別に駅らしく出来ています。

                           明治調の道後温泉駅。上手に作るものですね

坊ちゃん列車と言い道後温泉駅と言い
明らかに夏目漱石の坊ちゃんの影響を受けていますね。
ご当地ソングならぬご当地小説が
100年の時を経てなおこの地を潤しているのかと
ほとんど感動の念を禁じ得ませんでしたね。
夏目漱石偉い!

駅前にからくり時計がありましたが
からくりが動いていないときはただの時計です。
待っているほど気が長くないのでそこはパスします。

商店街を通り過ぎると
あの有名な道後温泉に着きました。
テレビなどでよく見た道後温泉本館が
目の前にあるのですから結構嬉しいです。

                             有名な道後温泉本館。今も繁盛しています
かといって僕は温泉そのものには興味はありませんから
端から入浴する気はありません。
道後温泉の建物を外から見れば十分です。
せっかく松山まで来てもったいないですけど
温泉は入りたくないから仕方ないですね。

少し歩いて子規記念博物館に行きました。
さすがにここは子規の人生をよくまとめてあってわかりやすかったです。
監修した方の子規に対する理解が優れているのだと思います。
たいしたものです。
松山に来た人で子規に興味のある人は必見です。

                           それにしても何故この建物?子規記念博物館

その後路面電車で「勝山町」に戻り
「大街道」までワンブロックだけ歩きます。
その間に坊っちゃん列車が来たら写真に撮ろうというはらです。
歩いている間に思惑通り坊っちゃん列車がやって参りました。
さあこれからシャッターチャンスというその時に
折悪しく胸の携帯電話が鳴りました。
仕事の電話であります。
なかなかうまくはいかないものであります。

大街道で昼食をとって
再び路面電車に乗り昨日迷い込んだ松山市駅に行きます。
ここからすぐのところに子規堂と呼ばれる
正岡子規の旧宅のレプリカがあるのですね。

                             子規堂見学も興味深かったです

遺品などが多く展示されていて往時をしのばせます。
とりわけ子規が使っていた勉強机の安っぽさは驚きでした。
松山の地がどうしてこれほど多くの偉人を輩出したのかは
子規の家の貧しさが一つの答えを出しているのかも知れませんですね。

路面電車でホテルに戻り預けてあった荷物を引き取り
再び路面電車に乗りJR松山駅に戻ります。
結局僕はこの日5回路面電車に乗りました。
この時点で1時半頃です。

このあと鉄路で帰るとおよそ夜10頃家に着くはずですが
空路ではもっとずっと早いはずです。
それでまず空港に行って切符が取れたら飛行機で、
取れなかったら電車で帰ることにしました。
盆に近い時期の上り便
取れないはずはあるまいとふんだのです。

結局飛行機はあっさり取れて1時間後、僕は機上の人となりました。
夕方5時半には我が家のリビングでお茶を飲んでいるのでした。
飛行機って凄いですね。

戻る